まず、一番聞かれることですが、
なぜ移住したのか?
なぜ山梨なのか?
移住した当初は、正直に言ってもあまり理解されないので、
なぜ山梨に来たのか。という説明ばかりをしていました。
空気がうまい、水がおいしい、温泉があって、野菜も果物もうまい、
さらにはワインまであって、おいしいお肉もある。
何かあっても衣食住は何とかなりますよね。と…
まぁ、最近ではなぜ移住したのかを、
ご理解頂けるようになったので、正直に申し上げております。
移住した理由は、ずばりウィルスです。
当時は豚インフルエンザでした。
移住当初はそんな事を言っても、
「こいつ何、言っちゃってるの?」というリアクションが多かったです。
僕はもともと外国為替に関わる情報配信業を行っており、
そんなことで、2007年のベア・スターンズという米投資銀行からはじまった、
サブプライムローン問題、そして、その翌年のリーマンショック
これを投資という世界のすぐ近くで見ておりました。
急激な為替の変動、株価の暴落・・・、
個人投資家の方々の悲鳴にも近い声が大きく聞こえてきました。
当時、まだ僕もその業界に入って数年、
最初は何が起きたのかよくわかりませんでした。
しかし、そこから金融の仕組み、
金融工学を基にした仕組債、担保証券などの市場を勉強しました。
まぁ、わかったのかというと、ざっくりしかわかっていないと思います。
調べれば調べるほどに、よく理解ができなかった。
何となく、デタラメなんじゃないかと思ったのが正直な所です。
救済の仕方も、あっちはダメでこっちは助けると、
すごく膿がたまっていたんだな。と思ったのが正直な所でした。
しかし、そこで膿はできらなかった。
そんなモヤモヤが続きながらも金融市場を学んでいました。
それが2007-2008年
そんな金融という世界に対する、モヤモヤ、
なんか違うんじゃないか…なんかしっくりこない。
そんな思いから一新塾という社会起業や政策提言などの勉強をする塾に
2008年に入りました。
そこで始めたecoコンがきっかけで山梨と繋がるのですが、またそれは他記事で。
で、山梨に通い始めるようになって、
とはいえ、都会の生活に慣れてしまった身、
当初は移住なんて全く考えていなかったのが正直な所です。
しかし、2009年…
豚インフルエンザによるパンデミック、
海外のニュースが会社では24時間流れていました。
国内のニュースではそこまでだったのですが、
海外のニュースでは大騒ぎになっておりました。
当時、タミフルという薬剤に注目が集まり、
スイスのロシュという会社の株価が暴騰しました。
暴騰する前にゴールドマンサックスという米金融グループが
株価の天井前にロシュの大口株主から抜けておりました。
ハッとしました。
ちなみに、ゴールドマンサックスはGPIF、
日本の年金すらも運用しております。
そこから、世界の経済、歴史、様々な情報を調べました。
本音を言うと、何にハッとしたのかというと、
それまではWar Businessつまり戦争ビジネスというものがありました。
道理に反しているのですが、明治維新なんかもそれの一つですね。
基をたどるとアヘン戦争から加速していったのだと思いますが…
まぁ、これが世界帝国のやり方なんだとみておりました。
敗戦国ゆえか…と。
しかし、豚インフルエンザのパンデミックを見た時に、
あ、戦争ビジネスの限界が来ているのではないか…
これからはウィルスビジネスにシフトする。と、直感的に思いました。
なんか、当時のパンデミックが本格的には見えなかったんです。
練習というか、模擬練習というのか…
個人的な本当に直感だけの何も根拠のないものですが…
これが東京になったらどうなるのだろう…
土のないアスファルトの世界、地面に沈まずに浮遊を続ける。
満員電車、オフィス街のビル、自宅のマンション、
都会はウィルスに弱いと思いました。
そこから、急速に移住に向けシフトを始めました。
その当時、先輩に教えてもらった
『藤原直哉のインターネット放送局』の内容が背中をさらに押してくれました。
まぁ、そんな感じでドタバタで移住しました。
移住した直後、その数週間後に震災がありました。
まぁ、実際なってみると想像以上の状況でちょっと引いているんですけどね。
陰謀論だなんだとも言われるかもしれませんが、当時の僕自身の直感です。
いまの疫病が実際のところどうなのかは知りませんが…
そんなことで、移住のきっかけは豚インフルエンザでした。
0コメント